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千と千尋の物語〜人生の扉を開く(第2部)〜 “扉”としての土星〜


“悪い魔女”と噂される銭婆に会いに行く前に、千尋は湯屋を恐怖に陥れた恐ろしいカオナシと対決しなくてはいけません。情け容赦のない湯婆婆は餓鬼と化したカオナシのいる大広間に無防備な千尋を押し込み、外からカギをかけて逃げ出せないようにしてしまいます。もっとも、気づきようがなかったとはいえ、危険な怪物を湯屋にいれてしまったのは他ならぬ千尋自身なので、カオナシが一段と凶暴になる前に彼女は自分の行いに対してきちんと責任をとらなくてはいけません。その意味では、湯婆婆は千尋が成すべき事をするように仕向けているに過ぎません。


強欲で親切心のかけらもない湯婆婆は、厳しい顔をした土星そのものです。彼女は“仕事を求める人には必ずそれを与える”という誓いを固く守り、厳しいルールを設けて自分の事業を切り盛りしています。千尋と両親がトンネルを抜けた時から始まるこの映画の冒頭から、湯婆婆のまわりは土星的なシンボルであふれています・・・彼女は建物の最上階に住んでいて、そこに到るには階段やドアや長い廊下を通らなくてはいけません。彼女の電話(マイクなのかもしれません)はドクロで、怖くもちょっぴり情けない姿の彼女の3人の“頭”の召使い達は“去勢”をイメージさせます。情け容赦のない湯婆婆の高圧的な権威主義は手下のもの達を文字通り“去勢”するのですが、その一方では息子の坊(甘やかされて育った千尋の姿にも通じる)に対しては過保護でしつけのできない絶望的な母親です。湯婆婆は象徴であると同時にキャラクターとしても完成されており、心の有り様をメタファーとして表現することにかけては天才的な宮崎監督の真骨頂といえるでしょう。彼女の存在は3つのレベルで解釈することができます・・・ “湯婆婆という独立したひとつのキャラクター”、“千尋の超自我かつ権威主義における闇の要素の体現者”そして“宮崎監督自身の土星”です。


宮崎監督は山羊座で、その支配星である土星は“所有”がキーワードの牡牛座にあります。この映画の冒頭から“欲望”はあらゆるレベルにおいて形を変えて表現されています・・・そもそも千尋の両親は自らの浅ましい食欲のために豚に姿を変えられるのですが、豚は土星における闇を象徴する動物でもあるのです。湯婆婆は強欲な魔女であり、彼女の従業員達もカオナシのばらまく金に目がくらむ人々です。そして親切で優しい人物として描かれているハクとボイラー室をとりしきる釜爺でさえも、ある種の飢餓感に満ちています・・・ハクは湯婆婆の魔法の秘密を学び取ろうと必死ですし、釜爺はなんと、40年も前の電車の乗車券を大切に持ち続けているのですから。もちろん、高い志を抱くことによって人は高次の意識を獲得できるようになるでしょうし、倹約し続けたおかげで乗車券のように後々重宝するものも手元においておけるのは事実です。しかし現実には、わがままな湯婆婆のもとで働くことでハクは自らの命を危機にさらし、度を超した労働は釜爺の身体を萎縮させるのです(多すぎる量の仕事をこなすために釜爺は6本の腕を持つようになりますが、脚が麻痺したその姿はまるで蜘蛛のようです)。


宮崎監督の出生図では土星と木星が牡牛座でコンジャンクションしています。この配置は“欲深さが原因となってふりかかった強制労働から脱出する”、“苦悩の末に責任感と自我を手に入れることに成功する”と解釈できますが、同時に “人生とは何か?”という問いかけに対して新しい視点で考えられるようになったことも意味します。千尋は常に守られており、それでもカオナシはなんとか彼女を我が物にしようとするのですが、自分に必要な分が何かをわきまえている千尋は、彼の思い通りには決してならないのです。カオナシという哀しい生き物は、牡牛座にある木星・土星コンジャンクションの最も深い闇を表しているといえるでしょう。また、冥王星がこのコンジャンクションにスクエアしており、カオナシが千尋を諦めることなく執拗に追い求め続けるということを示しています。このような暗い性質の天体配置の影響下に両親がいることに気づいた千尋は、戦うことを(無意識のうちにですが)決意するのです。


土星は、わたしたちが成長して自我を獲得するために通らなければいけない“道”を象徴します。映画の全編を通じて“扉”が主要なテーマとなっているのに気づかれたでしょうか?千尋は湯婆婆と扉越しに初めて対面するわけですが、この扉は千尋に根本的なひとつの問いかけをします・・・「扉をノックしないのかい?」自分の人格の良い面と悪い面の統合を始めようとする時、人は扉の前で躊躇し続けるわけにはいきません。 一方、湯婆婆の双子の姉妹である銭婆は土星という“扉”のもう1つの顔である“優しさ”を象徴しています。彼女は、しっかり働いて成果をあげた暁には呪い(ユング的には“コンプレックス”と解釈されます)は解かれる、と千尋に教えます。その銭婆を千尋は“おばあちゃん”と呼ぶようになり、最後には意地悪な湯婆婆に対しても同じように語りかけられるようになります。この時こそ、千尋の内にある光と闇が統合されたことを示す瞬間です。そして、ここから千尋の“真の人生”が始まるのです。



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